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中越沖地震
築60年になろうとする古家はまた耐えた。
40年前の新潟地震、3年前の中越地震についで、また新潟を地震が襲った。
その時、腰痛でゴルフをドタキャンし、失意でクリニックにいたボクはゆったりとした揺れを感じた。いやな予感がしたのですぐにテレビを観たところ、なんとまた中越地方ではないか。この前のときよりも海に近いようだ。
すぐに実家に電話をかけたが、案の定つながらない。思い立ってオヤジの携帯電話に電話した。幸いにもすぐに通じた。
電話の向こうのオヤジの声からは、揺れ直後の恐怖心が感じとられた。過去二回よりも大きく揺れたようだ。家の二階にいたがすぐに家を飛び出たらしい。
普通、家というものは世帯が子に引き継がれたときに建て替えられることが多い。分家の我が家は当然ながら兄の世代になれば建て替えられたはずだ。その兄は秩父に所帯を構えてしまった。
今回の揺れを感じたとき、さすがにオヤジは瞬間的に覚悟をしたようだ。しかしそこは材木屋が建てた家だった。三度の大きな地震に耐えた。
だが下越に始まり、中越に二度、次は上越地方だろう。フォッサマグナの北端である糸魚川近辺をいつ地震が襲ってもおかしくない。
それにしても今回の震源近くに柏崎原発があったのには驚いた。メディアには原発恐怖心を煽るような論調が多い。しかし地震国ニッポン、どこにあっても震源に近接する恐れは十分にある。むしろもっと大惨事になったかもしれないことを考えれば、今回の被害は最小限に食い止められたと言って良い。
むしろ今回の教訓として耐震性の優れた原発を開発しなければならないはずだ。東電の隠したがる体質は相変わらずだが、ある意味で東電は誇ってよいとすら思う。
そして首都圏の電力供給の一割以上を柏崎原発が供給していることを忘れてはならない。新潟の犠牲の上に都会の繁栄があると言っては言い過ぎだろうか。
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